Osaak Craft Beer Stories

おもろい場所で造るおもろいビール
型にはまらないクリエイティブ醸造

2023.12.25

株式会社JCTN(BAK)代表取締役 川本 祐嗣 氏

イチゴ、バナナ、キュウリ、杏仁豆腐にうなぎの蒲焼…?BAKでは毎月2種類のペースで季節の素材などの新しいビールがラインナップされる。エッセンスも独特だが、思わずクスッとしてしまうネーミングも楽しみの一つだ。代表の川本氏は、クリエイティブな発想でクラフトビールの裾野を広げている。

仕事が楽しければ人生の3分の2は楽しい

代表の川本氏は、大学卒業後に入社した広告制作会社で4年ほど勤めた後、広告代理店に転職している。いずれも大手の会社で営業職として働いていたが、ずっと気持ちの底の方にぼんやりとした思いがあった。
「仕事はとても楽しくて、営業職でしたがインタビューをして記事にすることもあり、ものづくりの現場でクリエイティビティを発揮できることはとてもやりがいがありました。ただ、仕事がしんどくなることも正直あったので、お酒をよく飲んでいました。店が混む金曜を避けて、土日にまた飲む、とか。週6くらいのペースで。毎日のように夜の街に通ううちに、飲食店の人たちが生き生き働いていて楽しそうだなって思うようになったんですよね」
土日を楽しみに平日を生きているいまの自分と照らし合わせて、ふつふつとそんな思いが湧いてきた。

仕事が楽しければ人生の3分の2は楽しい

「人生の3分の1が睡眠、3分の1がオフ、残りの3分の1の仕事が楽しいと思えれば、人生の3分の2を楽しいことに使えるなと。それで飲食店ってどんな仕事なんだろう、楽しいのかなと漠然と思うようになりました」
職場が変わればと転職したが、その気持ちが変わることはなかった。そんなある日、いつものように飲んでいたときのことだ。
「同級生と飲んでいて、飲食店をやろうかどうか迷ってると話したら、『それなら不動産屋の友だちがおるから!』と、近くにいたその友だちと合流して飲むことになりました。すると不動産屋の彼が『ええ物件あるから明日見においで!』と。いやいやさすがに急展開すぎるし、何も準備できてないと思いつつ、一方でこのチャンスを逃したらおそらく一生できないかなと思ったんです」

やらなかっただけ。自分もビールを造れる

2015年、川本氏は7年間のサラリーマン生活に終止符を打ち、堂島にビアパブを開店した。ギネスビールと自家製ソーセージのホットドッグを売りにしたスタイルだ。
年に2回は海外旅行に行っていた川本氏は、世界各地のクラフトビール文化にとても関心があった。
「日本でも少しずつクラフトビールの認知度が上がってきた頃でしたが、海外に比べるとまだまだ成熟はしていない。旅先はシンガポールや台湾などアジア圏が多かったのですが、特にニューヨークが一番すごかったですね。ビールの種類も豊富で、ピーナッツバタースタウトとかビールの既成概念が吹っ飛んでしまうくらいバラエティに富んでいる。この盛り上がりを見て、ああ、日本のビールもこれからもっとおもしろくなるよなって感じたんです」
自分でも造れるのではと何度か自家醸造を考えたことがあるが、酒販の免許取得のハードルの高さや、設備投資がネックとなって断念したという。

やらなかっただけ。自分もビールを造れる

「頭から難しいと決めつけていた節もありました。ただでさえ飲食業の初心者だったし、ビールの醸造なんてどうしたらいいかもわからないので、まずは飲食店をスタートさせることにしたんです」
開業から間もなくして、川本氏は一つのブリューパブの存在に衝撃を受けたという。
「近所で『MARCA』さんが、うちと同日に開業したんですよね。まったく同じ日に同じように脱サラして開業しているのに、あちらはビールを造っている。悔しかったですね。でもゼロスタートでもビールを造ることができるということは、自分は諦めてやらなかっただけで、やればできるだろうと思えたんです」
川本氏のブリュワー事業の背中を押した理由はもう一つあった。
「飲食業の難しさも感じていて、自分が一生店に立ってやっていくとなったときに、仕入れたビールとホットドックだけでは心もとない、武器がないことも実感していたんです。だったら自分でビールを造る方が、市場もまだ新しいし何よりもおもしろい」

“うなぎの蒲焼”をビールにしてみよう!

自家醸造を決めてからは動きが速かった。直火式の設備を採用し、設備メーカーが沖縄で同規模のブリュワリーをしているという会社を紹介してくれた。そこで基本的な造り方を教わり、あとは地元の同業者がサポートしてくれたという。
「ビール業界は横のつながりが強いんですよね。仲間ができたとばかりに皆さん仲良くしてくれました。いわゆる競合他社の人でも、業界情報やビールの製造方法、旨い飯の作り方も、快く教えてくれる。ほぼ未経験のままビール製造の世界に入りましたが、かなりまわりに助けられながらやってこれたと思います」

“うなぎの蒲焼”をビールにしてみよう!

基本的なレシピで造った最初のビールは、川本氏がクラフトビールにはまったきっかけになったIPAだ。
「流行りや一般的に美味しいとされるビールをよりも、海外で見たような、ちょっと変わったビールが造りたかったんです」
このオリジナル第一号は、とことん苦いビール「苦渋」と名付けた。いまもBAKの看板商品となっている。
「僕の人生の苦味、なんてね。普段ビールを飲まない人が、おもしろいなという興味からビールを飲むきっかけができれば嬉しいし、クリエイティブな発想からビールの裾野を広げられたらもっと嬉しいです」

“うなぎの蒲焼”をビールにしてみよう!

以来、BAKでは、月ごとに一味違ったビールを出し、それを楽しみにするファンも増えた。季節にちなんだ素材やネーミングが興味を引くが、その最たるものが“うなぎの蒲焼”ビールだろう。
「例えば柑橘を使ったビールはよくありますが、山椒を使ったらどうだろうと。山椒の素材だけ使うならありがちですが、いっそ土用の丑の日に合わせて、うなぎの蒲焼の味に寄せたらどうだろうと。要はカラメル麦芽の香ばしいニュアンスを、タレの味として表現したんです。醤油もうなぎも入れていませんよ」
いまもうなぎの蒲焼ビールは、毎年恒例の人気商品となっている。さらに他にも“ごぼうのビール”というものもあるらしい。
「ごぼうを使ったモスコミュールのカクテルを出すバーがあったんです。これはビールにも使えるなと思って、ごぼうとショウガを多めに入れて造ったらとても美味しくて。そんな風にビール以外からアイデアがひらめくことが多いですね」
ブドウ果汁を使ったビール「ファンタスティックグレープ」、バナナを使った黒ビール「ブラックゴリラ」など、どのビールも洒落が効いている。
「野生のゴリラはバナナを食べないことが後からわかったんですが、まあ、そこはイメージ先行です」

発想力と営業力でビールの間口を広げる

美味しいものをビールで表現するなかには、失敗はなかったのだろうか。
「エビシューマイのビールもありました。正直、自分でもどうなんだろうと思って出したら、10人に1人くらいは、気に入ってくれる人もいました。わからないもんだなと。失敗作ではないのですが、残念ながら人気がなかったということで、エビシューマイビールはそれっきり造っていません」
変わり種のラインナップだが、「自信を持って出せるものしか造っていない」と川本氏は言う。ただの悪ふざけや軽いノリだけではビジネスとして続かない。

発想力と営業力でビールの間口を広げる

「ビール業界を見渡すと、基本的に理系の人が研究を重ねて造っている世界です。文系でクリエイティブや営業の仕事をベースにしてビールを造る僕は、その人たちにビール造りで太刀打ちはできません。もっとも初めから同じ土俵に上がるつもりもなかったので、自分の得意分野を生かして市場を広げようと思っていました。何より飲食店からスタートしている自分たちは、売り切る力があることが強みです。変わったビールを造ってスタッフが心配することもありますが、自分たちで売り切ればいいことなので」
川本氏が培った強い営業力はいまも商売の柱として生きている。しかし単にビールを売るだけでは顧客の満足は得られないだろう。
「うちのお客さんは、どちらかというとギークといったビール通ではなく、うちの店が目当てで来る人、人に会うために来る人が多いと感じています。クラフトビールを飲んだことはないけれど、ここでは飲みますというお客さんが少なからず来てくれるので、クラフトビールを飲むきっかけとなる、そんな役割の場でありたいですね」

型にはまらない思いを一文字に込めて

ちょっと変わっているといえば、BAKのロゴもそうだ。「けものへん」に「麦」という漢字はない。どんな意味があるのだろう。
「2020年に梅田のグランフロントへの出店が決まって、もっと知名度を上げるためにも、バラバラだった店名やロゴをブランドとして統一することにしたんです。漢字がいいなと思って先輩のコピーライターに相談したら『型にはまらないビールを造っているんだから、型にはまらない漢字にしよう』と、この字に決まりました」
一つは麦のバク。もう一つは悪い夢を食べる空想上の動物の獏(バク)だ。お酒を飲んで悪いことは忘れようという縁起も担いでいる。そしてビールを造って世界を焚きつける(盛り上げる)という意味の「Brewing And Kindling !」の頭文字を取って「BAK」に決めた。

型にはまらない思いを一文字に込めて

2020年といえば、コロナが猛威を振るい始めた時期だ。
「飲食店でお酒が出せなくなったので、ビールをペットボトルに詰めて配達するサービスを始めました。海外ではペットボトルは普通に流通しています。遮光性の高い茶色いペットボトルが手に入ったので、注文サイトを作って、ご近所に自転車で配達していました。最初は物珍しさもあってそこそこ売れましたが、すぐに下火になってしまって…」
店舗での販売ができないとなると、メーカーとしての設備機能が意味をなさなくなってしまう。
「販売経路が店舗だけでは弱いなと実感しました。外販体制に備えた瓶詰や缶詰の設備を検討して、新しい工場を造ることにしました」
工場増設の理由はもう一つある。グランフロントでの出店が功を奏し、製造が追いつかなくなったという。
「旧工場の北浜は、2店舗分で売るための量を見込んだ規模なのですが、当時だけでもグランフロント1店舗で2店舗分の量が必要になったんです。OEMも試しましたが、コスト効率を考えたら新しい工場を持つ方がいいと。現在では旧工場の10倍の製造量になっています」
新しい工場は堀江に決まり、2022年12月から稼働を開始している。
「集客を考えると堀江はエリアとして好適です。郊外よりは遥かに地代は高いと思いますが、それでも“都市型でやることに意味があると思って、堀江の中で一番条件が良かったここに決めました」
新しい工場を拠点に、川本氏は集客面で考えていることがあるという。
「人気のブリュワリーが郊外にあったら、ファンは足を運んでいくと思うですが、逆を言えばファンでなければ行かないかもしれない。僕らは生活圏の中のビール工場、都市型ブリュワリーをやろうと。たまたま近所にできたから行ってみようか、という場所に工場をつくることに意義があると思うんです」

美味しさをわかりやすくして敷居をさげる

創業から8年間の軌跡をたどれば、店舗や工場の拡大など経営の軌道は順調に見えるが、ここに至るには苦労もあった。
「人材が定着しないことが一番しんどかったですね。どの業界も共通の悩みかもしれませんが、サラリーマンのときは自分が頑張ればいいと思って働いていたので、経営の視点で組織を作るとなかなかうまくいかないこともありました」
飲食店からブリューパブへの転換も、事業の大きな節目になった。いまクラフトビール造りに興味を持つ人へアドバイスをするなら?
「自分はもともとビールを造るなら販売する店舗を持つより、飲食店を自前でやりたいと思っていたので…。醸造を小規模でやるなら、おそらくブリューパブでやらないと利益は出しにくいし、また設備の大きさに応じて製造量と製品の単価も変わります。小規模ロットで値段は高い、量を造るのが大変な状況で、まともに市場で横並びの勝負するのは違うと思うんです。それでも自前で造った方が付加価値も高いし、仕入れるよりも安くなる。自分も楽ちんではなかったですし、いまだって決して楽ではありませんが、新規参入する人には、自分たちで売り切ることを見越した上で、醸造所を設計することをおすすめします」

美味しさをわかりやすくして敷居をさげる

酒造りは儲からないと巷でよく言われるが、川本氏は決して成り立たないビジネスではないという。
「うまくやれば儲かると思って、僕は参入してるので。資金繰りのためのプレゼン資料も、ビール業界はこうやったら儲かると思って作っていますから…。うーん、儲かってはいないですね、確かに」
川本氏が次に考えているのは、大阪以外の販売エリアの拡大だ。
「大阪で育って、この街が好きでここで商売をしていますが、大阪のローカルで頑張っているだけのブリュワリーではやっぱり寂しい。大阪の外にも販売できるネットワークをつくって、より多くの人に飲んでもらえる環境を広げたいと思っています。そうなって今の工場ではまかなえないぐらい売れたら、次こそ郊外に工場をつくらないといけないかな」 ただ、大阪が好きだが、地域の特産物や町おこしなど特に地場には固執してはいないという。

美味しさをわかりやすくして敷居をさげる

「大阪のおもろい環境で造った、おもろいビール。実はそれくらいしか考えていないんですよ。幅広い層に飲んでもらうには、ディテールに偏りがちなクラフトビールの敷居を下げて、取っつきやすくした方がいいと思うんです。レモン風味とか、爽やか、苦い、酸っぱいなどのわかりやすい言葉で。もちろんプロとしてビール通とのコアな会話も楽しみたいので、いろいろな人に来てほしいと思います。これから海外のお客さんも増えてくるので『日本におもろいビールが飲める場所がある』って言ってもらえたら嬉しいですね」

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