メーカーとしての姿勢を貫く
クラフトビールが織りなす“美しい製造業”
2023.12.25
合同会社Marca 代表責任者 神谷 みずき 氏
「美しいものは美しい製造環境から生まれる」というMARCA代表の神谷氏。自動車メーカーでのデザイナー経験を経て、ビアバーを併設する醸造所を開業した。ものづくりが車からビールへ変わっても、メーカーとしての姿勢を貫くそのクラフトマンシップは、設備のネジ1本にまでいきわたる。
INDEX
ものづくりには1から10まで関わりたい
代表の神谷氏は、美術大学を卒業後、大手自動車メーカーでカーデザイナーとして働いていた異色の経歴を持っている。
「もともと“ものづくり”が好きだったんです。子どもの頃から絵を描くことが好きで、自然な流れで美大に進学しました。企画から販売に関わるデザインワークがいいなと、グラフィックやエディトリアルではなく、製品そのものを作るプロダクトデザインの仕事を選びました。自動車メーカーに決めたのは、もともと車が好きだったことも理由の一つですが、プロダクトデザインの中でも、ものが形成される仕組みにとても興味があったんです」
自動車メーカーでデザイナーとしてのキャリアを積みながら、ふと思うことがあったという。
「車はエンジンといった駆動系、トランスミッション、車体、タイヤなど多くの部品で成り立っています。自分がデザインで関わるのはその一部分。走る、加速する、曲がる、止まるという車のすべての性能に関わることはできないんですよね。私がどんなに昇進したとしても、車づくりの1から10まで手掛けることはできません」
複雑な構造、数万点におよぶ部品数、安全性と品質管理など、自動車メーカーは分業制なくして成り立たない。規模が大きければなおさらだが、神谷氏の思いは止まらない。
「車を作りたいと思ったら、1から10まで関わりたいと思いませんか?さらに、自分の工場が欲しくなりますよね?」
車社会では、自分の思いを成し遂げることはできないと思った神谷氏は、やがて「どうやったら自分の工場を持つことができるか」という考えにシフトした。
結婚機に大阪に移住後、前職と同じ自動車メーカーのデザイナーとして転職した。
「自分の工場を持つための準備を始めたのもちょうどその頃です」
古くからある技術なら設備も簡易なはず
自分の工場を持ち、そこでビールを造ることになるきっかけは、結婚前の2006年頃のことだ。海外出張が多かったというご主人が、旅先で飲んだ一杯のビールが始まりだったという。
「主人が『トランジットのインチョン空港で飲んだ、ドイツのエルディンガーというヴァイツェンがめちゃめちゃうまい』と言ったんです。私もビールは大好きでしたから、そうまで言われたら飲みたくなりますよね。ネットで調べたら、ヴァイツェンビールを樽で輸入して、詰め替えて販売している酒販店さんがあったんです。さっそく5リッターの樽を10本注文して、冷蔵庫で冷やしてずっと飲んでいました。ほんとだ、これは美味しいと」
それ以来、クラフトビールにはまったという神谷氏は、大阪に来てから海外のクラフトビールがリアル店舗でも飲めるというビアバーの存在に辿り着いた。それがベルギービール専門店の梅田の「ドルフィンズ」だったという。
「『クラフトビアベース』の谷社長も働いていたんですよね。直接はお会いしてないのですが、時期的にニアミスしていると思います。そこでビールをたくさん飲むうちに、日本でも変わったビールを造る会社がいろいろあるらしいと、その頃にクラフトビールという名を耳にするようになりました」
“ものづくり”が大好きな神谷氏がクラフトビールの造り方に興味を持つのに時間は掛からなかった。
「ビールは歴史のある飲み物です。古くからある技術ということは、誰にでもできるはずなんですよね。大がかりな設備ではなくても、簡易な設備で工場を持てるんじゃないかと考え始めていました」
その後、工場見学ができるブリュワリーを直接訪ねることにしたという。約1年間かけて訪問したブリュワリーは県内外におよび、その数は「覚えていない」ほどだという。
「その中で一番お世話になったのが伊勢のとある会社さんです。ホームページを見たらリクルートの応募欄があったので、就職したいと履歴書を送ったんです。でも音沙汰がなくて…。いても立っていられなくなり、工場に突撃訪問しました」
2013年4月のことだ。ちょうど運よく社長が店にいたことで、話を聞いてもらえる機会を得たという。
「履歴書を見た社長に『一部上場の企業に勤めている人間を、辞めせてまで受け入れられない』と断られました。ただ『研修に来るのは自由』とも言ってくれたんですね。嬉しかったです。すぐにゴールデンウィークの5日間、仕込みを最初から最後まで見学させてもらいました。社長が一番初めに勉強した酒造研究所のテキスト教材も貸してもらえて、見事に実地と学科をセットで教えてもらうことができたんです」
マクラーレンに思いを馳せる第一歩
そこでの研修を終え、就業後や土日は勉強や免許取得に向けた準備を進めた。酒造業の免許は 醸造設備が整備されていることが交付の条件のため、並行して大阪市内で物件も探した。
「お世話になった不動産屋さんがたまたま『いい物件があるで』と勧めてくれたんです。堀江の他に中津も候補にあったんですよね。イメージとしては“都会田舎”な場所。堀江はよく遊びにも来ていて馴染みがある土地でしたので、そのまま堀江に決めました」
2014年の秋には、免許交付や起業の準備に目途が立ったことで会社を辞職した。神谷氏がビール醸造所を持つことに、ご主人もご実家も特に反対することはなかったという。
「主人にはずっと話をしていたと思うのですが、これといった反応もなく…。好きなようにやったらいいと、止める人は誰もいませんでした」
MARCAの醸造所は、神谷氏ならではのエッセンスで造られている。
「実はマクラーレンの工場の写真を見ながら設計しているんですよ。どこがってツッコミが入りそうですよね。どこも同じじゃないけれど、マクラーレンみたいな工場にしたいなと思って、憧れとリスペクトを込めて設計しました。私は常々“美しい製造業”ができたらいいなと思っていて、製品のデザインから工場の使い勝手に至るまで、すべて美しいものであってほしいと思っています」
神谷氏にとっての美しい工場とは、装飾や意図した造形美とは異なる、造り手の配慮やエネルギー、スピリッツが醸し出す一つの生き物のような存在かもしれない。
小さな一つの機能もフルに生かすこと
社名のMARCAはスペイン語だろうか。由来について聞いてみた。
「主人の祖父がミカン農家なんです。実家にあったミカンの籠に“マルカ(丸にカ)”って書いてあって、これでいいやと思って決めました。こだわった名前を付けるのが何だか照れくさかったんですよね」
アルファベット表記のロゴは、あらかじめ決めていた“GOTHAM”のフォントにしてニュートラルな印象にした。またロゴマークは黒を基調にしたスタイリッシュなイメージだが、これも“丸にカ”をモチーフにしているという。
「ゲームソフトのロゴに似てると言われるんですけれど、グラフィックは不慣れなので、よく失敗をしています」
ロゴをはじめボトルのラベルデザインも、すべて神谷氏が手掛けている。
「例えばこれビールのボトル、ラベルが首に巻いてありますが、箱詰めしたときに上から見てどの種類が何本あるかが一目で分かるんです。胴にしかラベルが貼ってないとそれがわかりません。ボトルを入れる箱には窓が付いてるので、外からでも中身を判別することができます。そうした日常の作業も含めた一連の工程をデザイニングしたかったんですよね。 “美しい製造業”をすることが私のもともとの目的ですから」
見逃してしまいそうな小さな仕組みや作業の一つひとつの役割を最大限に発揮させ、それらがトータルに機能したときに、美しい製造業は成り立つ。それが神谷氏の信念だ。
「設備のネジ1個から美しくあって欲しいと思います」
良いものを造ることに全力投球する
研修からちょうど2年後、2015年4月に酒造免許が交付され、翌月からさっそく製造を開始した。初めて造ったビールはペールエールだったというが、仕上がりはどうだったのだろう。
「うまくいかないことばかりで、そんなに感動はありませんでした。1バッチ目は、麦芽のマッシング(糖化)や、ろ過が大体うまくいかない。仕込みの半量ぐらいしか採れない上に、時間も深夜までかかる。1バッチ目あるあるだと思うんですけれど」
当時こそ思うようにいかなかったが、神谷氏のクラフトマン魂によって、いまでは数々のビールコンクールで多くの賞を受賞している。開業からの様々な歴史を刻んだ、神谷氏にとって思い入れのある醸造所だが、1年後を目途に引っ越す予定だという。
「この醸造所のサイズは、自分一人で作業することを想定した設計なので、いまは2名になった醸造スタッフで回すには非常に使いにくいんですね。資金に限りがあるので大きなサイズにはできないと思いますが、効率が良くて使い勝手の良い醸造所にしたいと思っています。メーカーですから工場が一番大事。いい工場を持つことがもともとの私の目標でしたから」
場所を変えるとなると、顧客離れや免許の再交付など不安はないのだろうか。
「この近辺に移転する予定なので不安はあまりありません。実はもともと製造に重きをおいた事業なので、地域性にあまりこだわりはないんです。可能であれば、どこかのタイミングで瓶を缶に変えたい。クラフトビールの品質管理は流通がネックであることを考えると、缶にする必要があるんです。ユーザーの手に渡ったところまでクオリティーを担保することがメーカーの義務ですから」
神谷氏の商売の軸は、決してぶれることのないメーカーの視点だ。ただ、昨今の起業ブームの流れを見て、「ビールを造ることを手段にしてほしくない」とも感じている。
「例えば六次産業をやりたいから、その手段としてビールを造りたい、と相談を受けることがあります。私自身、ビール造りを実際にやってみて、そんな簡単なものじゃないなと思いました。全力を注いでもまったく儲からないのに、六次産業を成立するのは二の次だなと感じます」
“酒造りは儲からない”――他のインタビューでも度々耳にする言葉だ。
「それでも地域の活性を目的にした町おこしのツールとしてビールが役立てたら、それは素晴らしいことだし、地域ぐるみで包括的な産業を起こすことにつながればいいなと思います。ただ、ビールを造る担当者は、常に真摯にビールと向き合ってほしい。それは私も含めて、メーカーとしてまずは美味しいものを造ることに全力投球したいですよね」