作り手の人生の味わいが
ビールの新しいストーリーを生み出す
2023.12.25
株式会社シクロ(Derailler Brew Works)ブリュワー 沖吉 拳治 氏 海老原 宏 氏
小説か漫画の表紙かと思わせる意味深なタイトルとポップなラベルデザイン。Derailler Brew Worksのラインナップはとても賑やかだ。思わず手に取りたくなるのは、一つひとつに“ストーリー”が設定されているからだろうか。異業種から転職したという二人のブリュワーに自身とビールにまつわるストーリーを聞いた。
INDEX
仕事を通じて自分の人生に胸を張りたい
Derailler Brew Works(以下、ディレイラ)を運営する株式会社シクロは、医療・福祉事業、就労支援を主な事業とする企業で、ブリュワリーの他に飲食店も幅広く展開している。ディレイラは、2018年に醸造を開始した。
海老原氏は、大阪出身で2022年5月に入社、沖吉氏は神戸出身で同年の8月に入社したブリュワーだ。ともに前職はまったくの異業種だったという。
「沖吉:僕は新卒で東京の人材のコンサルティング会社に入社しました。ちょうどコロナ禍の時期でしたが、どうしてもクラフトビールが造りたいと、1年ちょっとで退社しました」
「海老原:私はもともと自動車協会ーで運転制御系のシステムエンジニアをしてました。新しい技術を研究する部門だったので、いろいろな方法を試してトライアンドエラーを繰り返すといった仕事ですね。形にならなかった製品もたくさんあります。そういう仕事に13年ほど就いていました」
人材コンサルティングと自動車のシステムエンジニア。畑違いのクラフトビール業界を選んだ理由とは?
「沖吉:クラフトビールが好きになったのは大学生の頃です。当時はコンビニの棚にはクラフトビールは当たり前に並んでいて、ヤッホーの『僕ビール君ビール』『よなよなエール』などはよく飲んでいました。社会人になってからは、ブリューパブに行く機会もよくあって、そのうちの一軒に東京の西川口にある『GLOW
BREW
HOUSE』という店があるんです。そこにもとは給食を作っていたという“ひげもじゃ”のブリュワーのおっちゃんがいて、彼の働く姿や人柄、ライフスタイルをひっくるめて、この人かっこいいなと、心が動きました。当時の自分は、仕事はもちろん忙しくて、新卒にしては給与も高かったので、特に不満があったわけではなかったのですが、そのままの自分で人生50年、60年を通して考えたとき、胸を張れるかっこよさを見いだせなかったんです。そのときの自分と対称的な存在が、そのブリュワーのおっちゃんだったんだと思います」
一人のブリュワーが彼の人生を変えたと言えるだろう。ただ、見切り発車のように会社を辞め、全国の醸造会社に応募したが、コロナ禍ということもあり、なかなか採用されなかったという。
「沖吉:何とかなるだろうという気持ちの甘さもあったので、正直なところ頭を抱えました。しばらくは自営で働きながら、ブリューパブやビアバーに飲みに行って、ブリュワリーの知り合いがいないか尋ねたり、独学でクラフトビールの勉強もしたりしていました。次が見つからない焦りもありましたが、とことんビールに没頭した時間は楽しかったですね」
エストニアの芸術的なビールとの出会い
一方の海老原氏は、大学時代から電気電子工学を専攻した筋金入りのエンジニアだ。しかしクラフトビールとの出会いは少し変わっている。
「海老原:もともと海外旅行が好きで、毎年2カ所か3カ所に旅行することを繰り返していました。トータルで25都市くらいに行ったと思います。アメリカやヨーロッパでお酒を飲むとき、初めはクラフトビールだと意識せずに飲んでいたのですが、ふと『あ、これおいしいな』と感じたんです。この手のビールはまだ日本にはないし、自分の家の近所にも増えてほしいな、と思ったことが原点です」
海老原氏が海外で飲んだクラフトビールの中で、もっとも印象的だったというものがある。
「海老原:エストニアに行った際に飲んだ『プラヤ』というブルワリーのビールです。そのときはロシアがメインの旅行で、当時はまだ社会情勢も落ち着いていましたし、せっかくだからお隣のエストニアまで足を延ばしてみたんです。『プラヤ』はブルワリーとしては新しく、なんとも芸術的というか…。パッケーもおしゃれで味わいも洗練されていて、こんなビールがあるのかと驚きました」
それから日本でもクラフトビールを意識して飲むようになり、ディレイラの直営店である「うみねこ」や、同業の「ブリューパブスタンダード」にもよく通っていたという。
「海老原:そのうちに自分でもクラフトビールを造ってみたいと思うようになったんです。もともと大阪が地元なので、知り合いだった社長の山﨑に、勉強させてもらえないかとお願いして入社するに至りました」
13年勤めた会社を辞めて、まったくの未知の業界に飛び込むことに、自身や家族の躊躇はなかったのだろか。
「海老原:自分自身はエンジニアの仕事に執着はあまりなかったので、まあいいかと。妻からも特に反対はなく『あなたの好きなことをやりなよ』という感じでした。でもまわりの友だちはちょっと心配していましたね」
基本を押さえているからこその型破り
沖吉氏のディレイラへの入社は、ブリュワリーとしては3社目になる。新卒入社した会社を辞めた後、ブリュワリーへの就職活動に苦戦するなか、ようやく地元・神戸の「六甲ビール」から採用されたという。
「沖吉:そこではもちろん醸造の仕事にも携わることができたのですが、どちらかというと営業がメインの仕事になってきたんですね。なんとなくモヤモヤしているときにディレイラのブリュワーの求人を見つけたんです。面接に行くと当時のヘッドブリュワーから『一緒にクラフトビール造ろう』と話をしてもらって、ブリュワーになる夢に本腰を入れようと転職を決意しました」
3か月違いで入社した二人だが、ディレイラでの仕事の感触は共通している。
「沖吉:これはうちの会社の特色でもあると思うのですが、ブリュワーとしての経験は浅くてもレシピ開発に携わります。僕自身はいろいろな仕事をさせてもらうことで、成長スピードを上げてもらえている気がするので、それがとても新鮮に感じています」
「海老原:私もそうですね。“何でもアリで何でもできる”というか、型にはまったビールばかりではなく、常識にとらわれずに新しいものに挑戦できる。社風としてそういう土壌があるので、みんながアイデアをどんどん出せる雰囲気がいいですね」
一人ひとりが自由な発想で、常に新しいことに挑戦する、そんなブリュワリーとしての姿勢が個性的あふれる商品につながっている。
「沖吉:うちはフルーツやスパイスを使うビールが多いのですが、だからと言って決してオーセンティックなスタイルを大事にしていないわけではないんです。基礎をきちんと踏まえた上でのプラスアルファでないと社内でも提案は通りませんし、逆にそこがしっかりしていれば評価してもらえるんです」
商品化は飲み手のシーンを突き詰める
ディレイラでは、毎月1つの新しい商品を出している。商品化のプロセスとして、毎月、山崎社長が出すテーマのもとに、在籍するブリュワー7名が各自のレシピを提案する社内のコンペが行われる。採用は投票形式で、投票の持ち点は社長も含めてそれぞれが1点。もっとも投票数が多かった提案が商品化されるという。
「沖吉:評価基準としてマストなのは、例えば発酵の数値やアルコール度数など、醸造が理論上で破綻していないことが大前提となります。さらに大切なのは“飲み手の気持ち”です。どういう人が買って、どういう場面で何と一緒に飲むか、消費者のシーンをしっかり落とし込んでイメージできていることです」
マーケティングの要素が、そのまま商品の“ストーリー”となり、レシピとなっている。二人がいままでで一番印象に残っているレシピは?
「沖吉:海老原さんがつくった“紅ショウガ”のレシピです」
「海老原:そのときのテーマは“春先に飲みたいもの”でした。春先といえばまだ肌寒い時期、体が温まるイメージを考えて、かつ大阪感も出るといいなと思ったので、紅ショウガにしました。酸味がしっかり効いていて香りもいいんですよ」
その名も「KURENAI×SAMAYOI」。ラベルデザインも味わい同様にロックでエキサイティングだ。デザインやストーリーのディレクションは、すべて山崎社長が手掛けるというが、独特のシチュエーションや言い回しはどのようなプロセスで生まれるのか。
「沖吉:デザインが上がってからストーリーを書いたり、ストーリーと名前をもとに考えたりするようです。なんというか、社長だけの自分の世界があるんでしょうね」
「海老原:経営者でありながら、頭の中のものから何かを生み出して形にする、まさにクリエーターですよね」
イベントを通じてクラフトビールに市民権を
同社では今年4月、大阪のてんしば(天王寺公園)で無料音楽フェスを開催し、ディレイラをはじめ大阪のブリュワーが出店するなど、クラフトビールの普及活動にも精力的だ。
「海老原:クラフトビールを知らない人もまだまだたくさんいると思うんです。クラフトビールに触れるきっかけとなる、そうしたイベントに今後も力を入れていきたいですね」
「沖吉:クラフトビールが市民権を得るには、イベントは重要です」
“ビールは儲からない”説がささやかれるが、将来の展望の一つとして、ブリュワリー経営について聞いてみた。
「沖吉:個人的には、ビールだけを売っても儲からないと思っていて、例えばブリューパブならビールだけではなくフードを出すことで利益率を上げるとか…。うちの会社であれば、ビールの液体だけじゃなく、ラベルやストーリーという付加価値に対して、お金を出したいと思わせることができるんじゃないかと思います」
「海老原:海外に行くと街にパン屋さん的な感覚でブリューパブがあったりします。日本にも大きなブリュワリーはいくつもありますが、規模を大きくすることを目指すよりも、一つの街に一つのブリュワリーといった、小さなエリアで地元の人が毎日来てくれるような形ができれば、儲かるまではいかなくても、少量でうまく経営が成り立つのではないかと考えています」
最後に、異業種から業界に飛び込んだ二人が、ブリュワリー事業や転職を検討する人がいたとしたら、どんな言葉を贈るのだろう。
「沖吉:僕自身、好きで憧れて飛び込んだ世界ですが、やはりそれだけでは難しい世界だと実感しています。技術から販売までビールと真摯に向き合うことの大切さを痛感していますが、若い世代の力で、クラフトビール業界がカルチャーとして長続きするようにしたいですね」
「海老原:クラフトビール業界で言うと、特にマイクロブリュワリーは型が決まり切っていない発展途上にあると感じています。その分、試行錯誤しながらやっていく面白味があると思うんです。自分で考えて動くことが好きな人にはとても合う業界なのではないでしょうか」
二人それぞれの人生がストーリーとなったメッセージだ。