人生のパートナーと二人三脚で造る
ローカル展開のクラフトビール
2023.12.25
3TREE BREWERY 代表・醸造責任者 森 凌平 氏 森 尚子 氏
クラフトビールが縁で知り合い、大阪からほどよく郊外の茨木市でブリュワリーを立ち上げた一組の夫婦。この街には他の街にはない魅力に溢れているという。ビールの好みや仕事の役割は違っていても、お互いの信頼から生まれる一つひとつの商品は、見事なコンビネーションで仕上がっている。
INDEX
“鬼”のクラフトビールに魅せられて
代表の森氏は現在30歳。北海道・苫小牧に生まれ、高校を卒業するまでの18年間を苫小牧で過ごした。その頃はただ漠然と公務員になることを目指していたが、進学は京都の大学を選んだ。
「同級生が“北海道から出ない”選択をする人が多くて、それがつまんないなあと思ってたんです。それなら自分はどこへ行こうかと思ったときに、高校の修学旅行で訪れた京都にしようと。北海道とまったく違う都市という印象が強かったんですよね。東京には一度行きましたが、ピンと来ませんでした」
初めての一人暮らしで赴いた京都の街は新鮮だった。20歳を過ぎる頃にはビールにはまり、京都界隈のビール専門店を巡り、大阪市内のビアバーに繰り出すことも多かったという。
「ビール好きが高じて、京都・三条の商店街でやっていた地ビール祭りにボランティアで参加したんです。全国から20社ぐらいのブリュワリーが出店していて、日本にもこんなにいろいろな種類の地ビールがあるのかと、それがクラフトビールの道に進むきっかけでした」
そのイベント以来、森氏は各地のクラフトビールを片っ端から飲み比べ、そして一本のクラフトビールと出会った。
「北海道・登別の『鬼伝説・金鬼ペールエール』です。出身の北海道を意識したわけではなく、飲んだときのクリーンさにとても惹かれて、その一本に惚れ込んでしまいました。おいしいペールエール他にもありましたが、自分の中で一番ヒットして、もう飲みまくっていましたね」
地ビール鬼伝説は、登別の老舗菓子メーカー「わかさいも本舗」が、酒造法改正後の1997年から運営しているブリュワリーだ。森氏がほれ込んだという「金鬼ペールエール」は、さまざまなコンテストで多くの賞を受賞している。
「その頃、アルバイト代で年に1回は東京に飲みに行くようになっていて、偶然、東京のビアバーで、鬼伝説ビールの工場長に出会ったんです。『北海道が地元なら、うちの工場に遊びにおいでよ』と言ってくれて、帰省のタイミングで工場に伺いました。そこで『大学を卒業したらここで働きたいです』と伝えると、『本当にやりたいなら受け入れるよ』と、快く承諾してもらったんです」
行きたい先をイメージすると道は開ける
2016年の春、大学を卒業した森氏は、鬼伝説ビールで働くべく登別に住まいを固めた。工場は50代の工場長の他に40代のブリュワーが1名、そして森氏を加えて3名体制となった。
「初めは雑用ばかりでしたよ。ひたすら掃除をして、樽を洗って、帳簿付けもやりました。仕込みは上司のサポートで、自分がメインで仕込みをするまでには2年ほど掛かりました」
いわば修業期間で、もっとも印象に残ることはなんだろう?
「初めから “イメージをすること”をずっと言われていました。できないこともイメージして、こうしたらこうなると、先を想像しながら動くこと。そうすることで最短ルートではなくても、自分の行きたい道に進めると教わりました。この言葉がいまも生きています」
プライベートでは、酒場などの店が早くに閉店するため飲み歩くことは減ったが、休日には登別ならではの温泉通いが楽しみになったという。そしてもう一つ、人生の大きな節目となる結婚をした。現在、3TREE BREWERYをともに切り盛りする尚子さんだ。京都時代にクラフトビールを通じて知り合い、結婚を前提に森氏に伴って登別に移住したという。
「登別に来てからも彼女は保育士の仕事を続けて僕を支えてくれました。彼女もビールが大好きで、鬼伝説ビールの工場にはテイスティングによく来ていたんですよ。就職から2年が過ぎた頃に結婚し、それを機に『2人でビールに携わる仕事がしたいね』と、独立を意識するようになりました」
自分の人生を変えた「金鬼ペールエール」と出会い、後世に残そうと継承者としての使命を抱いて就職した。その思いがあることで、独立の意向を上司に伝えるには少し勇気が必要だったようだ。
「決意は変わらないので早めに気持ちを伝えた方がいいと、3年目に入った頃に工場長に相談したんです。そうしたら『それならもっといろんな経験をしなきゃね』と言ってくれて、それからは営業も含めて、独立を意識した仕事をさせてもらいました」
森氏が鬼伝説ビールで初めて書いたレシピは、尚子さんが一番好きなセゾンスタイルだ。
「関西時代の僕と妻を知っている人にウケたいなと思って、鬼伝説ビールにちなんで『鬼嫁セゾン』というネーミングにしました」
味わいの評判は上々で、いまはそのネーミングでのラインナップはないが、セゾンスタイルのビールは、3TREE BREWERYのフラッグシップ商品になっている。
地元のイベントは地元ビールで盛り上げたい
就職して4年を迎える頃、独立に向けた土地選びが始まった。開業は実家や鬼伝説ビールのある北海道ではなく、初めから関西に的を絞っていたという。
「北海道は基本的に車社会なので“家飲み派”が主流なんです。僕の父もそうでした。東京はブリュワリーが急増していたので、馴染みのある京都、大阪、妻の実家がある奈良で検討していたんです。それでも京都・奈良にはすでにブリュワリーが多くあり、大阪市内も増えている頃でしたから、他の土地を探しました」
そんな折り、茨木市で開催するクラフトビールとロックのイベント「茨木麦音フェスト」のことを思い出した。
「全国から20ほどのブリュワリーが参加するイベントで、僕もボランティアとして3回ほど参加しました。大阪であれば箕面には箕面ビールさん、高槻なら國乃長(壽酒造)さんですが、茨木には地元のビールがないんですよね。茨木市のビールがあればイベントとともに盛り上がるんじゃないかなと、もうこの街しかないと思って決めました」
現在も、茨木市にあるブリュワリーは3TREE BREWERYだけだ。
物件探しは、知り合いに頼んで周辺のリサーチをお願いした。飲食スペースを設けた店舗と工場の設備費用などの開業資金は、登別で働いて貯めた2人の貯金と合わせて、政策金融公庫と商工会議所経由で紹介を受けた信用金庫から融資を受けたという。
「独立への期待感はもちろんありましたが、正直なところ不安もありました。本当に自分たちでできるんだろうかと」
2020年4月、新天地となる茨木へと引っ越し、同年9月に3TREE BREWERYが開業した。
新天地で乗り越えたコロナ禍の波
2020年4月といえば、コロナによる緊急事態宣言が発出された時期だ。
「とにかく大変でした。今後のことはもちろん状況もよくわからないし、世間は混乱しているし…。ご近所への挨拶回りもできず、ずっと家で取り寄せた鬼伝説のビールを飲むしかやることがなかったです」
9月の開業となると、ビールの製造はもとより店舗の営業はできたのだろうか。
「開店すると全国から知り合いがお祝いに駆け付けてくれたりしたのでスタート時は良かったんです。いちばんしんどかったのは、やはり酒類の提供が禁止になった2021年ですね。うちは瓶や缶詰めの機械を入れていないので、ここで飲んでもらうことしか考えていませんでした。どうやってビールを飲んでもらったらいいのか、まったくわからない日々が続きました」
それでもなんとかテイクアウトでつないできた。タップ売りしていたビールも、容器を工夫して販売したという。
「近くの方には『炭酸水を入れられるペットボトルをお持ち頂いたら量り売りします』とアナウンスしたんです。ちょうど茨木市の広報の方に取材に来て頂けたので、それもきっかけに、少しずつテイクアウトは増えていきました」
茨木で唯一のブリュワリーということで、フォーカスの対象になったようだ。2022年の3月には本格的に酒類提供の制限が解除され、そのタイミングで、仕事帰りの客が早々に増えたという。
「自分だけじゃなく、皆さん我慢していたんだなって実感しました。今年はイベントも増えてきましたし、うちも開業以来、初めてフル稼働できると思います」
ビールが風景に溶け込むベルギーの街
インタビューに同席した森氏の妻・森尚子さんにも、自らの視点から見た独立・開業までの道のりを聞いてみた。森氏曰く、尚子さんは相当なビール通のようで、クラフトビール好きということでは、森氏に勝るとも劣らないという。
「尚子:もともとピルスナーが好きで、ドイツやチェコなど海外のビールをよく飲んでいました。日本のクラフトビールを知るきっかけは、2015年の『CRAFT BEER LIVE』でした。お土産に地ビールをもらうことはありましたが、関西にもこんなにたくさんの醸造所あるんやなって」
イベントで飲んだクラフトビール、その時一番印象的だったことはなんだろう。
「尚子:その時に強く感じたのが、クラフトビールの一つひとつに、造る人の思いが込められているということです。例えばその地域の特産品を入れたり、ドイツのビールに焦点を当てたブリュワリーがあったり、どんどんおもしろくなってきたんですよね。わざわざ海外のビールを飲まなくても、日本のビールを積極的に飲んでいこうと、全国のクラフトビールにハマっていきました」
森氏とはクラフトビールの店で知り合い、意気投合していまに至る。登別への移住に同行することに躊躇はなかったのだろうか。
「尚子:自分がビール造りに主体的に関われなくても、ビールを造る人の近くにいることで、もっとビールの知識や経験を深めることができると思ったんです。それならいまの仕事を手放してでも登別に付いて行こうと、ためらわず『あ、私も行く』って言っていました」
登別では、結婚を機会に独立を意識したというが、何かきっかけはあったのだろうか。
「尚子:新婚旅行で訪れたベルギーには、朝から飲めるところがたくさんあって、当たり前のように朝からおじさんたちが飲んでいて、その風景がとても自然なんです。ビールがとても身近で、日本でもこんな風になったら面白いだろうなと思いました。ローカルで展開していくおもしろさに気づいたのは、このベルギー旅行の影響が強いです。地域で地域のビールを楽しむことが私たちのスタイルだと。その夢を叶えるのに茨木はぴったりなんです。交通の便は良いし、緑も多いし、とても暮らしやすい魅力的な街です」
クラフトビールを基点にした地域交流の循環
3TREE BREWERYが造るビールは「ドリンカブルで何杯でも飲める」ことがコンセプトだ。季節に合うテーマや味わい、ネーミングなどは尚子さんが発案し、そのイメージに合わせて森氏がレシピを仕上げていく。
「尚子:例えばうちの定番商品に『RPG』というペールエールがあります。それは文字通りロールプレイングゲームのように、ゴールを目指して少しずつレベルアップしていくことをイメージして名付けました。これからも成長を続けるという意味で、このビールには完成がない、100点はないと思って磨き続けていくつもりです」
今後に向けた目標は、やはり地域に根付いた商品づくりにあるという。
「地域のイベントが再開してきたので、積極的に出店していきたいですね。茨木はウドの他に赤シソが有名なので、そうした地元産の素材を使った商品も考案中で、地域とともに店の認知度を高めていきたいと考えています」
「尚子:独立する前からの構想で、5年以内に瓶か缶での商品を販売することが目標です。実は茨木市のお土産って確かにパッと出てこない。地域の人が帰省の手土産に私たちのビールを持って『これ地元のビールやねん』と言ってくれれば嬉しいし、茨木市を訪ねた人がお土産として私たちのビールを選んでくれたらさらに嬉しい。私たちのビールを基点にした地域交流の循環ができたらと思います」
最後にクラフトビール業界へ新規参入を検討している人へメッセージを聞いてみた。
「やっぱり僕は何よりも美味しいビールを知ってほしいですね。ビールを造りたいという気持ちには、いろんな思いが込められていると思うのですが、やはり美味しいものを造るには、美味しいものを知ることが一番だと思います。『自分もこんなビールを造りたい』というビールに出会ったら、そのイメージを持ったままブリュワーという職業を目指してもらえたらいいなと思います」