
手詰め1000本ノックを
乗り越えて生まれた1杯
2025.08.08
株式会社ワールドインテック 安川 正雄 氏、根岸 圭太郎 氏
クラフトビールという言葉が誕生する前の、地ビールブームまっただ中、2002年に醸造を開始したハーベストの丘。20年以上クラフトビール文化を見守ってきた「安川 正雄さん」と、近年のクラフトビールに魅せられてビール醸造の世界に飛び込んだ「根岸 圭太郎さん」のお二人にお話しを伺いました。
INDEX
- 01 クラフトビールとの出会い
- 02 ハーベストの丘の昔と今
- 03 今後のチャレンジについて
クラフトビールとの出会い
ー個人として、クラフトビールと出会ったきっかけは何ですか?
ハーベストの丘の開業当時はソーセージの立ち上げ担当でした。ハーベストの丘でソーセージの店舗運営を2年ほど経験した頃、3年目の起爆剤としてビール事業の立ち上げをすることになりました。
島根県で運営していた同グループの施設でビール製造の下積みを経験しました。
最初は大手さんのビール以外の存在さえ知らなかったのですが、ヴァイツェンを飲んだ時に「こんな香りのビールがあるんだ!」黒ビールや、
フルーティーな香りのビールなどこれまで出会ったことない香りを知り、
右も左も分からない中で、自分が関心のあるビールを作りながらブラッシュアップをしていきました。
ー根岸さんがなぜビール醸造のお仕事に関心をもった理由も聞かせてください。
学生時代は発酵学を学んでいましたこともあり、醸造に関心はずっとありました。決定打となったのは、けやき広場のビール祭りに参加したことです。
クラフトビールの味わい、バラエティを知る中で、クラフトビールにどんどんはまって行き、面白さに気が付きました。
ハーベストの丘の昔と今
ークラフトビール事業をスタートさせてから大変だったことはありますか?
ハーベストの丘のオープン期は年間50万人が来場していましたから、ビールも飛ぶように売れました。ただ最初は経験値も知識も乏しかったので品質も低かったですね。
当時は仕込み量も、発酵期間もコントロール出来ておらず手探りでビール造りをしていました。手詰めの機械もスタッフ2人で12時間かけて1000本近く充填するなど当時は本当に過酷な働き方をしていましたね……。
ークラフトビール事業をやっていて良かったことは何ですか?
「ハーベストの丘に来場いただいたお客さんや、ビアフェスで飲んでくれたお客様の「おいしかったよ」の一言に尽きますね。
開業当初は品質が追いつかなかったという話をしましたが、開業して十数年後、社員旅行があったんです。
ドイツやベルギーに行き現地のビールを飲んだのですが「自分たちが作っているビールの味わい、悪くないな」と感じたんです。
自分たちの作っているビールに自信を持てた瞬間でしたね。そのビールをお客さんに飲んでもらい、笑顔になってもらえる。それだけで十分だと感じています。
ビールを飲んでニコニコしている顔が見たくて、グラス擦切り一杯注いでしまうことも多々あります(笑)
今後のチャレンジについて
ー今後ビールの作り手側として、どのようなことをしていきたいですか?
根岸さん)新しいスタイルのビールを提案しつつ既存のビールのブラッシュアップを行っていきたいと思っています。
自分は濃色系のビールが好きなので、どんどんチャレンジしていきたいです。バーレーワインなどにもチャレンジしていきたいですね。
安川さん)異業種の事業者さんとのコラボにも積極的にチャンレンジしていきたいです。以前、泉北レモンの街ストーリーという、街にレモンの苗木を植えレモンを育てるプロジェクトを運営している事業者さんとコラボしてレモンビールを生産しました。これからも地域の活性に注力する事業者さんと積極的にコラボレーションしたいです。
また、大阪府立花の文化園(大阪府河内長野市)の指定管理を受けている株式会社ワールドインテックと大阪公立大学さんとの共同で野生酵母の開発を進めています。
ビールに適した酵母を実験中でして、酵母が完成したらビール醸造を開始する予定です。