Osaak Craft Beer Stories

二百年の伝統を守り生かす
蔵元仕込みのクラフトビール

2023.12.25

壽酒造株式会社 ブリュワー 島崎 雄也 氏

壽酒造の創業は、江戸時代末期にさかのぼる。かつて「醸の国」と謳われた摂津富田の日本酒造りを守るため、醸の国の長であらんとする志を「國乃長」の名に込めている。そんな老舗の蔵元が造るクラフトビールには、歴史に育まれた確かな技と、新たな挑戦をいとわない職人の精神が息づいている。

老舗蔵元が大阪初の地ビール業者に

壽酒造が蔵を構える摂津富田(高槻市)は、日本酒に適した上質な地下水と原料米に恵まれ、古くから酒造りが盛んな名醸地だった。やがて灘や伏見の日本酒造りの勢いに押され、一時は消えかけた地元の酒造りの灯を守ろうと、文政5(1822)年に蔵元に商売変えをして創醸したという歴史を持つ。
そんな老舗メーカーの壽酒造が、ビール製造を始めたのは1995年。直接のきっかけは、1994年の酒税法改正だったという。

老舗蔵元が大阪初の地ビール業者に

「私が入社した6年前よりさらに前のことなので、先輩方から聞いた話ですが、先代の社長とその弟さん(現・専務)が、ビールを造れるようになるなら造ってみようと動き始めたのが始まりと聞いています。
そもそも日本酒造りは、冬場の仕込み時期以外はオフシーズンというか、作業としては暇になるんですよね。その期間に米を作るメーカーは別ですが、そうした閑散期を活用できないかと、以前から機会を伺っていたのではないかと思います。専務は新しいことにとても興味がある方なので、『それ絶対におもしろいからやろう』と言って、現社長とともに試作に取り組んだと聞いています」
法改正と同時に準備を始め、翌年の1995年に大阪初の地ビール業者として生産を開始した。全国でも7,8番目の立ち上げだという。
「とにかく当時は情報が少なかったらしく、醸造の技術だけでなく、設備にしてもプラント自体を売っている業者もいなかったとのことでした。そこでちょうど大阪にプラントを作ってくれる会社が見つかり、その伝手でこの地域の大手のビールメーカーさんにお願いして、醸造の勉強とともに、設備の見学をさせてもらえたそうです。そこの設備をいろいろ計測して参考にし、そのままダウンサイジングした特注品として作ったと聞いています。それがいまも動いているこのプラントです」

老舗蔵元が大阪初の地ビール業者に

プラントが置かれる製造室は、もとは精米を自社で行っていた時代に精米室として使っていた酒蔵の一部を改築・改装した場所だという。言われてみれば天井に酒蔵の名残が伺える。
「プラントを作った会社の当時の担当の方が、いまもメンテナンスに来ていて、当時の様子やプラントの工夫した点などを聞くことがあります。醸造にあたっては、最初はビールメーカーさんで習った通りスタートする方針で、当初はトライアンドエラーの連続だったそうです」

ほんのちょっとしたタイミングで人生は
変わる

島崎氏が、ブリュワーを志望して壽酒造に入社したのは2017年。それまではまったく畑の違う業界で働いていた。
「新卒で入社した会社では、主に組み込み系のシステムエンジニアとして、家電製品や重機などの開発や試験に携わっていました。そこで6,7年程勤めたあと、冷蔵冷凍機メーカーに転職しました。組み込み系のキャリアなので、その流れでハードウェアの業界に行った感じです。ただ、当初は技術職のサービスエンジニアとして働いていたのですが、あるとき省エネ関連の補助金のコンサルをする部署に抜擢されてしまって…」
その会社に勤めて5年が経っていた。ただ、ものづくりが好きでエンジニアになった島崎氏にとって、その異動は納得がいくものではなかったという。自分の将来を思い悩んでいた時期、もともとお酒が好きだという島崎氏が、ある人物の店で飲んでいたときのことだ。

ほんのちょっとしたタイミングで人生は変わる

「『ブリューパブスタンダード』の松尾さんです。彼のお店は目の前でクラフトビールを造っているのが見られますので、とても興味がありました。彼の店で飲んでいるときに、いまの自分の状況を相談したり、ビールの話題で盛り上がったりしていると、そのタイミングで偶然に壽酒造の営業の人が現れたんですよ。松尾さんは壽酒造に社員として働いていたこともありますから、『この子ビールに興味があるみたいだよ』って…。折しも醸造部門で人を募集しているということでした」
名刺を交換してその場は別れたというが、島崎氏は当初その話を本気にしていなかった。
「クラフトビールに興味があると言った自分へのリップサービスだと思っていたんです。興味があれば電話してね、くらいの感じだったので。でもその数か月後に、壽酒造に入社することになりました」
酒好きとはいえ、まさか自分がビールを造るとは思いもよらなかったが、立ち寄った酒場のほんのちょっとしたタイミングで、人生が大きく変わることに島崎氏自身も驚いているという。

ちょっとした油断がすべてを台無しにする

島崎氏が入社したゴールデンウイーク明け頃には、日本酒造りは終わっていて、ビール製造の繁忙期に入る時期だった。
「初めは怒られてばかりでしたよ。もう、ホントにいろいろダメでした。ずっとエンジニアとして機械ばかり相手にしていましたので、まず食品製造の徹底した衛生管理に驚きました。いまではそれが当たり前に身に付きましたが、何よりも手を洗う回数が違う。詰めの工程では、消毒の仕方も薬剤を使うときもあれば熱でアプローチすることもありますので、当初はその違いがわからなくて『なんでこれやるんやろ?』って思いながらやっていました。この世界が衛生管理と清掃が基本なのは、ちょっとした汚れの見落としミスが、製品すべてに直結してしまうからです。それが本当に怖いと、最近はしみじみ感じています。実際にいまでも作業はほとんど掃除ばかりです」

ちょっとした油断がすべてを台無しにする

入社して半年間はビール醸造を集中して仕込まれた。3か月ほどかかる一通りの作業を何度も繰り返し、技術を習得していった。
「もちろん覚え切れないところもあるので、ビールも造れる杜氏の上司や先輩にサポートしてもらっていました」
ビール造りの世界に飛び込んで、想像していたものと違うことがもう一つある。
「体にかなり負荷がかかること、思っていた以上に重労働でした。重いものを持ったり、手運びしたりすることも多いのでめちゃめちゃ腰に来ます。僕も何度か腰をやってしまいました。クラフトビール造りは、華やかな印象がある反面、衛生管理はもちろん、酵母という生物の力を借りて造ることも含めて、デリケートでシビアな世界だと感じています。そうした地味な作業がベースにあることで、成り立つ世界なんだと思います」

料理を引き立たせ華を添えるビール

壽酒造が造る酒の基本コンセプトは、「料理を引き立たせる」ことにある。食中酒として料理に華を添えること、それはビールも同様だ。
「うちはケルシュ、アンバーがメインになるんですが、程よくキレがあり、食事の邪魔をしないことが前提なので、ビール自体の個性を強く出しすぎず、かつ没個性にもならないっていう感じですね。程よく香りがあり、キレがあることが、一番の特徴かもしれないですね」
具体的にどんな料理に合うのだろうか。おすすめをいくつか聞いてみた。
「例えば地元グルメに“高槻バーガー”という、高槻の食材をたくさん使ったボリュームのあるハンバーガーがあります。こうした少し濃いめの肉料理には、程よくキレがあってカラメル麦芽の甘味がある『蔵アンバー』がよく合います。煮込み料理にもおすすめですね。一方、すっきりとした『蔵ケルシュ』なら、さっぱりとした料理がおすすめです。例えば焼き鳥ならタレじゃなくて塩の方ですね」

料理を引き立たせ華を添えるビール

壽酒造では、日本酒をはじめビールも国際的なコンクールで数々の受賞をしている。なかでも『貴醸GOLD』は、ジャパン・ビア・フェスティバルで4連続受賞、アジア・ビアカップで金賞を受賞した。
「『貴醸GOLD』は、日本酒の貴醸酒造りにヒントを得て造られたビールです。貴醸酒は、三段仕込みの最後の段階で水の代わりに日本酒を入れて造るのですが、とろみのあるとても甘いお酒ができるんです。それを参考にして、清酒酵母で醸した麦汁に純米酒を加えています。甘さが立ったフルーティーな味わいの仕上がりで、清酒酵母を使っているため、ビール酵母にはない香りが特徴です。ビールとして料理と合わせるというよりも、刺身などの生魚によく合います」
新しい挑戦は、ビールだけでなく、後続で生産を始めた焼酎造りにも生かされている。大阪で唯一の地焼酎だ。
「もともと“粕取り焼酎”という日本酒の酒粕を蒸留して焼酎を造る製法はあったので、それをやってみようと。吟醸クラスの酒造りの工程で、搾った後でできる酒粕で、上品な華やかな味わいです。もともと酒粕の再利用という観点で始めた事業と聞いています」

好きなものを造って目の前で共有できる喜び

新商品を造るなかには、こんな出来事もあった。
「僕が造ったものではないのですが、パクチーのビールを造ったことがありました。地元の農園の方からたくさんパクチーを頂いて、ちょうど餃子のイベントがあったので『餃子とパクチー、合うやん!』と意気揚々と造ったんです。しかし実際にイベントでは、パクチーを前面に出すと売れない。名前で敬遠されてしまうんです。意外に味は良かったんですよ、他のビールにはないニュアンスで。売り方って難しいなと思いました。イベントでは急きょ名前を変えて売った覚えがあります」
島崎氏が入社してからの6年の間にはコロナによる影響も大きい。自身のブリュワーとしてのキャリアの約半分を占めることになる。

好きなものを造って目の前で共有できる喜び

「不安よりもビールを造れないフラストレーションの方が大きかったです。自分のキャリアとして、自分のものを造りたい、新しいものを試したいというタイミングでもあったので、それができないストレスを抱えて、ちょっとくすぶってた時期ですね。昨年あたりから少しずつコロナが落ち着き、段々と思うような動きができるようになったのは、純粋に嬉しいなと感じました」
老舗の蔵元として伝統の技を守りつつ、新しいものへの挑戦する姿勢は、今後も変わらない。
「僕ら造り手としてはいろいろなことに挑戦したいという気持ちがまずあります。いきなりゴールに目指すというよりも、試しに造ってみて、そこから新たな工夫を楽しみたい。まずはやってみて、そこから何かいいものを見出したり、造ったりする形になるのかなと思います」

好きなものを造って目の前で共有できる喜び

最後に島崎氏にとってのビール造りの魅力を聞いた。
「一番は自分が好きなものを造ることができること、そしてそれを口にできるというのがいいですよね。クラフトビールはイベントも多いので、自分が造ったものを目の前でお客さんに飲んでもらえることは、かなり面白いところだと思います。飲んで楽しんで、造って楽しめたら最高ですよね」

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