作り手の人生の味わいが
ビールの新しいストーリーを生み出す
2023.12.25
株式会社シクロ(Derailler Brew Works) 代表取締役 山崎 昌宣 氏
小説か漫画の表紙かと思わせる意味深なタイトルとポップなラベルデザイン。Derailler Brew Worksのラインナップはとても賑やかだ。思わず手に取りたくなるのは、一つひとつに“ストーリー”が設定されているからだろうか。異業種から転職したという二人のブリュワーに自身とビールにまつわるストーリーを聞いた。
INDEX
悪循環を断ち切る“酒との戦い”
Derailleur Brew Works(以下、ディレイラ)の製造責任者であり、母体の株式会社シクロの代表を務める山崎氏は現在46歳。大阪・住之江区で生まれ育った。シクロは医療・福祉、就労支援を主な事業とする会社で、起業のきっかけは、大学在学中のアルバイトから就職した介護施設で、ケアマネージャーとして働いていた経験がもとになっているという。
「25歳のときに医療・福祉系の大学に入り直し、昼は西成の重度障がい者の介護施設でアルバイトをして、夜は学校に通う生活を送っていました。卒業後にそのままその会社に就職しましたが、僕が32歳のときに倒産しちゃったんです。その時には僕は結婚していたので、家族を養える規模で経験を生かそうと、当時の住之江の自宅でシクロを立ち上げました」
ただ、仕事の依頼は、ほとんどが西成エリアからの要請で、事務所も西成に移転せざるを得なかったという。
「特に西成という地域に思い入れがあるわけでもなく、仕事の都合上だけのことです。いまでこそ落ち着いてきましたが、確かに西成といえばカオスというかドヤ街のイメージが根強い。僕が働き始めた2000年頃は、西成暴動の最終期あたりでしたが、僕自身はそうした場所に抵抗はありませんでしたし、生活保護を受けることが恥ずかしいことだと思わないことが、弱者支援の仕事をしていて、ほんまに大事な価値観だと思いました」
ディレイラの醸造所も西成区の萩之茶屋にあるが、それも介護の仕事の延長線上にあるがゆえなのだろうか。
「そうですね。ディレイラの前に、モーニングとランチを出すカフェを西成警察署の真横に作ったんです。酒を珈琲に変えてしまう目的で。実際、この地区での介護や看護サービスの仕事は、“酒との戦い”というか、いい飲み方をしない人たちとの戦いだったんです。皆さん朝から普通に酒を飲むし、血管が膨張しているから採血もできないし、それが当たり前になるとスタッフのモチベーションが下がってしまう。その悪循環を断ち切るには、酒を抜く方法として、彼らの仕事をつくらなあかんと思ったんです」
カフェの客数は一日100人以上にもなり順調だったが、店への嫌がらせが続き、やむを得ず1年ちょっとで店を閉じることになってしまったという。
ビールだから西成でも品質で勝負できる
「嫌がらせが頻繁に起こると、店をフォローしてくれる、例えばキッチンやレシピの指導をしてくれる健常者のスタッフが定着しないので、店が維持できなくなりました。僕たちが支援する“おっちゃん”たちは、先天的な障がいではなく、酒や薬がもとでメンタルを崩して体を壊した中途障がいの方々で、昔は元気に働いていた人ばかりです。もう一度輝ける仕事を一緒に作ろうと、やっと彼らの居場所ができて、働くことで少しずつ自尊心も取り戻してきたと思ったのに…。そんな雰囲気になってしまって、おっちゃんたちがまた酒に戻り始めてしまったんですよ」
その状況を食い止めようと、カフェの閉店の整理を兼ねて備品を売ったりフリマに出したりして、わずかながらでも仕事を作った。そんなある日、フリマの売上と山崎氏のポケットマネーを合わせ、みんなで焼肉屋に行ったときのことだった。
「酔いが回るとおっちゃんたちが僕に言うわけですよ。『おまえがしっかりせえへんから、わしらがこうなんなっとんねん』とか、『俺らは酒の専門家なんだから、酒の仕事を用意してくれたらいいのに』とか…。どんな酒の専門家なんだかと、腹が立ちますよね。でも一方で、酒を造って売る場を用意したら、カフェのようにもう一度良い循環生まれるんじゃないかと思ったんです。本当は『ほら!用意したで!』って、おっちゃんたちに言い返したい気持ちもあったんですけどね」
彼らの雇用の場として、西成区で立ち上げることに意味があった。ただ、多くの酒のなかでもビールを選んだ理由はなんだろう。
「ビールしか可能性がないと思いました。ニューヨークとボストンに視察に行ったときに、住宅地にブリューパブではなくブリュワリーがあって、きちんと商売が成り立っていたんですよね。仕込みの水も名水というわけではなく、普通の水でビールを造っていました。例えば麦芽にしてもホップにしても、ビールの原料はほぼ輸入品であることを考えると、大手ではなくマイクロブリュワリーなら、都会であることの方が流通も有利だし、西成でも品質で勝負できると思ったんです」
自分たちがビールを造る意味を俯瞰で探る
いざ、ビールを造ろうと決めたときに山崎氏がまず頼ったのは、大阪のビアバー「MARCA」だったという。
「僕は25歳から自転車に乗っていて、39歳まで実業団に所属してレースにも出場していました。だからうちの会社の名称は、ほとんどが自転車用語なんです。会社名のシクロ(CYCLO)はフランス語で自転車、ディレイラ(Derailleur)は変速機のことで、アウトロー的な意味合いもあるので、ちょっと西成っぽいなと思って。実は『MARCA』さんは自転車乗りの間では有名で、代表の神谷さんのご主人が自転車のパーツメーカーのエンジニアをされていることもあって、ビール好きの自転車乗りは大体が『MARCA』さんに行くんです」
山崎氏が初めて飲んだクラフトビールも「MARCA」で、ベルジャンIPAやゴールデンエールだったという。
「こういうビールもあるんだなと思いました。ただビールを造る立場になったときに、熱狂的なファンとしてクラフトビールを追求するのとはちょっと違う、距離があると感じました。クラフトビールの業界全体を俯瞰して、そこに爪痕を残すことや、自分たちがビールを造る意味を延々と考え続けることが多かったです。だからブリュワリーを立ち上げて最初の3か月くらいは、神谷さんに教えてもらったレシピを試行錯誤しながら僕が造っていました」
経験不足ゆえに品質がなかなか安定せず、失敗の理由がわからないこともあった。それでも初めてのものづくりは感慨深いものだったと山崎氏は言う。
「自分たちのプロダクトが誰かのところに届くということに、単純に憧れがあるんですよね。でも僕らの視点は、良い造り手がいて、その造り手をおっちゃんたちがフォローできて、出口となる売り先までの構造を造ることにあります。そのためにはまず良い造り手が必要だと思いました」
そんな折り、山崎氏が大阪のパブで飲んでいるときに外国人のブリュワーと知り合い、山崎氏の話に共感した彼がディレイラの醸造を引き受けてくれたという。
「その半年後くらいには品評会で賞をもらうまでになり、当時500リットルを造ると初日の外販だけで捌けるほど軌道に乗ってきていました。それで世間から注目されてきたときに、彼がヘッドブリュワーとしてSNSで発言したら、ビザのことで叩かれたことがあったんです。入国管理局からも問い合わせが来て…。彼の技術が確かなのは間違いないのですが、当時の彼には醸造管理者となるビザがなかったので、立場上の話をしても納得してもらえず辞めることになりました。それが海外の働く人の門戸を狭めたといった、世間的な誤解を受けてしまい、一時期うちの商品が、大阪のクラフトビール界隈でまったく売れなくなってしまったんです」
自分たちの手綱を誰かに握らせない
数々の壁を乗り越えてきた山崎氏だが、現在のディレイラに至るまで、一筋縄ではなかったようだ。ただ、このことがECサイトを立ち上げるきっかけになったという。
「自分たちの手綱を誰かに握らせたらあかんと思ったんですよ。アメリカのブリュワーズアソシエーションもしきりに“インディペンデント”を提唱していますが、僕は販売先としての出口の手綱をどう握ってるかが、本当の意味でのインディペンデントだと思っています。そして自分たちの商品を自分たちの言葉できちんと伝えるチャンネルを持つことが、クラフトマンシップの担保だと思うんです」
自らのチャンネルを持ち続けなければ、商品の幅を広げることもできない。ディレイラではそれ以来、ECサイトとともに直営店の展開に力を入れ、いまでは大阪・京都・福岡に7店舗を持っている。また現在は、東京・渋谷にも箕面の店舗同様に、ディレイラのビールだけを売る直営スタイルの店舗を仕込んでいるという。
「渋谷はアンテナショップのような東京のフラッグシップ店になる予定です。こうした直営店にしてもECサイトにしても、僕らの思ったままを伝えるチャンネルになって、それらを理解した人が『いいね』と言って商品を買ってくれることが増えてきました。販売比率を見てもECサイトと直営店が、いまはそのチャンネルの役割をきちんと果たしているなと感じています」
ただ、福岡の店舗では、タップの8割をあえてディレイラ以外のビールにしている。それは他のマイクロブルワリーがどんなおもしろいことをやっているか、勉強を兼ねて市場調査にもしているという。
「いまでこそ系統立てて話していますが、売上が落ち込んだ当時は、ずっとモヤっとしながら、生き残ることばかり考えていました。どうやったら自分たちの信念を曲げずに、造り続けられるかということ考えたときに、発言権の確保というか、発言のベースとしてのチャンネルがやっぱり必要だったんです。自分たちを理解してくれる人がいる、そう思えることが、すごく大事だなと思いました」
ビール市場そのもののパイを広げる動きへ
ピンチを逆手に取った展開が功を奏し、事業が再び波に乗ったように見える山崎氏だが、いまのクラフトビール業界の行く末に危機感もあるという。
「個人的にクラフトビールは思っていたほど追い風ではないなと感じています。4月に天王寺公園で野外音楽フェス『坂ノ上音楽祭』を開催したのですが、2日間で13万9,000人の来場者がありました。そこでは音楽で言えば“ジャケ買い”のノリでビールを選ぶ傾向があって、いままでターゲットとして想定しなかった層に刺さっているなと実感したんです。だからこそ僕たちがいまやらなきゃいけないのは、そうした未知のボーダーゾーンに対してアプローチをして、ビールの裾野をもっと広げること。日本のビールの年間消費量は2000年までは7,000(千万キロリットル)あったものが、いまは3,500か4,000に半減しています。そもそも市場がシュリンクしているのに、誰もそのパイを広げる展開をせずに生き残ることだけを考えていたら先細りになるのは目に見えています。かつての音楽のメジャーとインディーズの対立構造みたいに、大手メーカーとマイクロブリュワリーがなってしまったら、業界全体がバラバラになってしまう」
ビールだけに限らず、酒類全体を見ても消費量は年々減る一方だ。現状の打開策は、それぞれの役割を持って全体を意識することにあると山崎氏は言う。
「他社のビールを自社のビールに置き換えていく営業活動では意味がありません。例えばクラフトビールの“ギーク”と呼ばれるマニア層は、大手さんにしっかり支えてもらって、そもそもお酒を飲まない人、これから飲む人、そうした未知の層に対しては、僕らみたいなトリックスター的な振る舞いをするところが取りにいかないでどうすんねん、と思うわけです。うちのビールがきっかけで、『ディレイラもいいけど本格的なビールも飲んでみたい』と思わせたらそれでよくて、『それでもディレイラが好きかな』というのもアリです。市場全体を広げることをどこまで深く意識できるかが大切だと思っています」
“たかがビール”のポジションに本気を出す
市場の拡大を目標に掲げ、ディレイラでは新たなラインナップや組織づくりにも積極的だ。
「僕は発泡酒という制度をフルに活用することが、日本でクラフトビールの多様性を体現する唯一の手法だと思っていて、僕らもフットワークと商品の自由度を保ったまま拡大戦略を取っていくつもりです。組織のスケーリングがもたらすメリットは大きいので、休みが取りやすいなど人も働きやすくなるし、品質も安定させられて結果としてコストを下げることもできる。その取り組みの一環として、いま熱処理と清涼飲料水の製造免許を取得中です」
今年、ディレイラのブレイクスルーの鍵を握るテーマは、ノンアルコール・低価格・常温保存にあるという。
「音楽フェスでも音楽がまずありきで、そこの空気感をつくる触媒の一つに酒があったらいいと。音楽の二の次にくる酒が、やっぱり大事だと思うんですよ。そんな“たかが酒”というポジションに、本気で造った酒を持っていきたい。常温はマストで価格もとことん下げ、西成で上代200円を目指しています。ただそれだけがディレイラじゃないんだと、ラインナップの幅広さを見せていきたいんです」
さらにクラフトジンの製造免許も取得に向けて走り出し、また国内だけではなく、台湾・香港・韓国への輸出も始めているという。最近では麦芽かすから、焼き菓子やパンを作るカフェを準備中とのことで、「循環型」を意識した活動も展開している。
「僕たちは畑でも水でも、自然の何かしらのパワーを持ってるわけじゃないので、僕たちのできるアップサイクルは、そうなるのかなと。循環しながら徐々にスケールアップする仕組みを見せていけたらすごいですね」
最後に、ブリュワーを目指す人やクラフトビール業界へ参入を検討している人に、一言メッセージがあるとしたら?
「うーん…やめとけと。仮にうちの会社に入ろうとしている人なら、意地悪のようだけれど、やめとけと言われてそれでも来る人じゃないと無理だなと思います。本音としてもっと幸せになる方法があると思うからです。おそらくアートや音楽やものづくりって、プライベートを含めて自分を切り売りする作業でしょう。それを踏まえた上で、それでもというならぜひ一緒にやっていきたいですよね」